こんにちは!モトキと申します。
僕は35歳(2016年)のときにeBay輸出ビジネスをはじめました。試行錯誤しながらも約1年で法人化。現在は社員5名・パートスタッフ15名を雇用して真面目に物販ビジネスを運営しています。
一見すると順調に実績を伸ばしてきている感じに思えますが、実際にはそんなことはありませんでした。ebayで一番最初の取引は4300円の赤字からスタートしていますし、利益が出るようになるまで3ヶ月もかかりました。
普通なら『儲からないから辞めよう』『自分には向いていない』と考えて諦めると思います。でも当時は僕にそんな余裕はなかった。もう後には引けない状況だったのです。
何故そんなに追い込まれていたのか?それを話すには僕の過去を振り返る必要があります。高校中退、起業失敗、借金、依存症、うつ、これらのすべてを僕は経験してきました。
どうしようもない状態からどのようにして現在に至ったのか?もし興味があればこのまま読み進んでください。
『これからビジネスをはじめたい』『何をしていいかわからない』そんな方に僕の過去を話すことで勇気や自信を持ってもらえたら嬉しく思います。
落ち着きのない子供時代
子供の頃はとにかく落ち着きがなくて、授業中に勝手に教室の外に出歩いてしまって先生に怒られたり、教室のガラスを割ったり、文房具屋さんで万引きをしたり、やっていいかを考える前に行動してしまう、ちょっと変わっていて周りから浮いているような子供でした。
それは優しかった母が育児パニックになって僕に対して感情的に当たるようになってしまったからなんですね。甘える人がいなくなって寂しくて何かを表現していたのだと思います。
自分にも子供ができた今でこそ当時の母の状況を理解することができます。父も仕事で忙しく、引越して来たばかりで、頼れる親戚や友人も周りにいない状況で4人の男の子を育てることになったのですから。そんな母や父に対して今は感謝の気持ちでいっぱいです。
暗黒の中学校時代
入学してからイジメられるようになってしまったんですね。小学校の時ほどではないにしても、やっぱりどこか落ち着きがなくて弄りたくなるような所があったんだと思います。
学校に行くのがつまらなくなってズル休みをして、家で一人で好きな音楽を聴きながら本を読んでいるのが至福の時でした。
イジメられるのは恥ずかしいし、悔しいけど、体が小さくて力もなかったのでどうすればいいかわからなかった。そんな時に同じようにイジメられてた友達がだんだんと不良になっていくと同時にイジメられなくなったんですね。
気づいたら不良グループとつるむようになっていきました。それは自分を守るのには最善の方法だと思ったんです。
不良友達はみんな背景に何かを抱えていました。離婚、暴力、イジメ、挫折。強くなりたい、目立ちたい。お互いに共感できる部分があって、夜中抜け出しては朝までいろんな話をしたりするのが単純に楽しかった。
だんだんと価値観が変わって高校に進学する気はなくなっていました。人と違った生き方をしたい。そんな思いが強くなっていきます。しかし両親や先生の説得もあって、高校を受験することになります。
厳しさを味わった高校時代
高校生活は1カ月も続きませんでした。
何の意志もなく、毎日同じ電車に乗って通学することに耐えらなくなってしまいました。このままだと大勢に流された人生になりそうな気がして、今度は自分の意志で生きて行くと決断をしました。
そして早々に社会に出て働くことに。
建設現場の仕事をはじめて、自分で決めたことに誇りを持っていましたが、仕事現場で制服姿の学生を見かけると孤独や寂しさを感じました。
また一人だけ別の道を歩んでいく中で、将来の不安もありました。大勢の同級生は大学に進学して就職して安定した生活を手に入れる。自分にはもうそれができない。だから将来は起業をするしかないと考えるようになります。
でも現実は何をしていいかもわからないまま時間が過ぎていきます。遊びたい盛りもあって仕事を転々としますが、そのたびに仕事の選択肢がない事実に直面しました。
そんな頃に同僚の女の子が定時制高校に通っていて、話を聞くうちに興味が湧きます。勉強もしたかったし、何かを変えたかった。僕は20歳で高校に再度入学することにしました。
充実の定時制時代
定時制の授業は夕方からはじまります。1時間授業をしてから給食を食べて3時間の授業があります。夏の期間は授業が終わった後に部活があって、野球と陸上をやっていました。
最大で4時間授業なので通常だと卒業まで4年かかります。ただ大検(高卒認定試験)で特定の科目に合格すれば単位として認められて、3年で卒業することができます。目標は3年で卒業する事でした。
在学中はたくさん勉強して、起業家や成功者の本をたくさん読むようにしました。多くの本に共通していたのはそれらの登場人物が若い頃に営業の仕事で成果を上げていた事でした。多くの起業家に習って、自分も卒業後は営業の仕事をはじめようと考えるようになっていきます。
体育会系営業会社時代
できるだけ厳しい世界の方が自分を成長できると思い、都内の営業会社に就職しました。ビルの電気管理の新規契約を獲得する仕事で、主にビルを所有しているオーナーや企業の決裁者と接する事ができるのは起業を目指す僕にとって魅力的な仕事だった。
でも入社した会社はバキバキの体育会系企業だったんですね。指導や管理が厳しくて同期がどんどん辞めていきます。アポなしで飛び込みの営業をするので、突然の訪問に怒られることも多々ありました。
さすがに精神的にも辛くて、典型的な売れないダメ営業マンでしたが、新たに赴任してきた上司がきっかけで成果が出るようになっていきます。言葉は汚いのですが愛情があって、明確に目標設定をしてくれてモチベーションをあげるのが上手でした。
成果をあげて出世していき、気づいたら会社に居場所ができていて居心地が良くなっていまいた。それでも起業したいという目標がどうしても捨てきれない自分がいました。
ケーブルテレビ会社時代
前々から地元の親友に誘われていたケーブルテレビの会社に転職することにしました。以前の営業会社よりも成果主義で、自分の腕で稼ぐことをしたかった。そして1,2年だけやって起業しようと考えていました。
親友は全国トップの営業成績で才能がありました。
負けじと努力をしますが一度も成績で勝てた事がなかった。悔しかったけど、それでも自分の基準が上がって以前よりも稼げるようになったのは親友の存在が大きかったです。
ケーブルテレビの会社は上場企業の子会社でコンプライアンスを遵守を徹底する真面目な雰囲気でした。言う事をあまり聞かないタイプの2人はだんだんと会社組織が窮屈に感じるようになります。
そんな背景もあって、親友と大手通信会社のインターネット回線を販売する会社を立ち上げる決断をします。会社に縛られずに自由に稼ぎたかったのが1番の理由でした。
リアルビジネスで起業
通信会社の代理店として、インターネット回線の新規受注1契約につき数万円の報酬を得ることができます。ただ契約を獲得できないと報酬はありません。
プレッシャーはありましたが、自信もありました。
何よりも自分達で営業ツールを作ったり、出社時間や休みを自由に決めたり、全てのことを好きなようにできるのが、すごく楽しかったです。
売上は順調に伸びていき、1年も立たないうちに社員が10人になります。少数でやっていた頃はなかったのですが、社員の話を聞いたり、モチベーションをあげたり、会社のビジョンを示したり、そういった人の心の管理が大変になっていきます。
方向性の違い
もともと親友と50%ずつ出資していたので、会社の議決権も半分ずつでした。要するに2人の意見が一致しないと会社としての決断ができないということです。
このまま同じ事業で拡大していくのか、リスクヘッジで新規事業にも挑戦していくのか親友との意見が別れました。僕は通信会社から業務契約を切られたら終わりだと思っていました。つまり新規事業をした方がいいと思っていました。
トップ2人の方向性が違うと会社のビジョンを社員に示めせなくなります。それが社員の働くモチベーションに関係してくるようになりました。
会社の売上は契約件数と比例しますから社員のモチベーションが下がることは契約件数が減る、つまり売上が減ることを意味していました。ついに固定給よりも売上(利益)が少ない赤字社員が出てきてしまいました。
2人はここで大きな判断ミスをすることになります。社員を業務委託に変えて赤字リスクを解消しようとしました。業務委託の場合は契約件数に応じて報酬が発生するので赤字リスクはありません。
業務委託の方が社員でいるよりも稼げるし、また頑張ってくれるだろうと思っていました。しかし、その思惑ははずれます。業務委託になった途端にほとんど辞めていきました。
最後は2人に
残ったのは、空っぽの事務所と会社の借入300万でした。
それでも2人の意見は違ったままで、親友はこのまま稼げるうちは代理店を続けたいと考えていたのです。関係が微妙になった2人はそれぞれが稼いだ分から給料を取っていく事と、会社の借入を返すまでは辞められないルールを合わせて決めました。
仲間や目標を失ってしまって、心の中で何かが切れてしまった。自分の給料を稼ぐには契約を獲得しないといけないのですが、どうしてもやる気が出ませんでした。
ギャンブル依存症
もぬけの殻となってしまった自分は、しばらく離れていたパチスロに通うようになります。
最初は時間つぶしのつもりでしたが、だんだんとパチスロにハマっていっていきます。個人事業みたいな形で自由に時間を使える環境が状況をより悪化させました。完全に熱中してしまい生活費や会社の経費をパチスロで稼ぐようになります。
実はこの時すでに結婚をしていました。妻には会社の状況を伝えていましたので、僕が目標とモチベーションを失っている事にも気づいていました。パチスロに行ってお金を稼いでいる事も知っていましたが、一時的な事だと思っていたと思います。
そんな状況でも、妻はいつも僕を信じて気丈に振舞ってくれていました。
この頃の話になったりしますが「本当に離婚危機だったよね」と言われます。当時そんな態度は出していなかったですが、内心では悩んでいたのだと思います。現在、夢や目標を持ちながら自分でビジネスができているのは、妻のおかげで本当に感謝しています。
株式譲渡
営業の仕事に戻りますが、またパチスロに通う日々が続いてしまう繰り返しでした。この頃はかなり自己嫌悪になってしまって、うつのような状態でした。
状況を変えるために会社の借金を立て替え、株式を譲渡して辞める決断をしました。辞めた途端に何か今まで縛られていたものから解放されて、またやりたい事や目標が出てくるようになりました。
とは言っても、借金/無職/依存症/うつ。こんな最低の状況からの再スタートをしなければなりませんでした。
肉体労働
とりあえずは個人で営業の仕事をするつもりでしたが、期間限定で勤める事にしました。時間に縛られていた方がパチスロ依存症を克服するためにはいいと考えたからです。
サツマイモ集荷の仕事が時給1700円で募集されていました。収穫時期の9月から12月までの期間限定で、農家さんが作ったサツマイモをひたすら集荷してくる仕事でした。
実際にやってみると過酷な肉体労働でした。サツマイモがぎっしり入ったケース(約25kg)を200個もトラックに積みます。トラックの荷台までは手で載せるのでかなりキツイわけです。
お金を稼ぐことの大変さを改めて感じることができたのは良い経験でした。
期間限定だったのでなんとか頑張る事ができましたが、やはり人の指示に従う事が苦手みたいで「やっぱりもう一度自分で何かビジネスがしたい」と強く思うようになります。
新たなビジネス
とにかく初期投資が少なくて、キャッシュフローが早いビジネスを探していました。
その条件にあてはまるのがインターネットビジネスでした。サイトアフィリエイト、ブログアフィリエイト、輸出、輸入、、、いろんな情報がありましたが、その中で気になったのが『無在庫販売』というキーワードでした。
無在庫販売だと在庫リスクがないくてキャッシュフローが早い。求めていた条件に合致したビジネスでした。さらに国内で販売するよりも海外のプラットフォームで販売、つまり輸出をした方が無在庫販売はやりやすいことを知ります。
そして輸出で有名な海外ECサイトといえばamazonとebayでした。それぞれメリット・デメリットがありましたが、最終的にはキャッシュフローが早くてアカウントが安定しているebay輸出を選択しました。
ebayのデメリットは販売リミット制度によって思うような利益になるまで時間が必要でした。この条件は初心者でも上級者でも同じで最初はどんな人でも販売リミットが少ない状態からスタートしなければいけません。
ただ逆にこれが参入障壁になると思いました。ある程度の期間を我慢しながら販売しないと利益を伸ばせないからです。早く稼ぎたい気持ちはありましたが、着実に安定して利益が出しやすいebay輸出で成功すると決心しました。
新たな目標が見つかったと同時に、ずっと抱えていた心の霧が晴れていきました。
妻との二人三脚
ebayではじめての取引は4300円のマイナス。
オークション形式で売って評価を貯めようとしていたのですが、リサーチが上手く行かなくて失敗しました。
「このまま独学でやっていたら稼げない」
思い切って6ヶ月で36万円のebay輸出スクールに入ることにしました。お金がない状況で本当に勇気が入りましたが、それくらいまでしてもebayで絶対成功したかった。
ネットビジネスのスクールはじめてでした。
セミナーに行くと実際に稼いでいる講師の方と話すことで「本当にネットで稼いでる人がいるんだ」とよりリアルなイメージができたのは自分にとって大きな体験でした。
そしてスクールで教わった内容をもとに試行錯誤を続けます。
ある程度リミットが増えてきたところから無在庫販売を本格的にスタートさせました。
生活はギリギリでebayの売上から生活費に回していました。毎月売上を伸ばさないとお金がショートするリスクがあったので必死に出品し続けます。
その後は順調に毎月売上伸びていきます。今の自宅に引越してからは子供が寝静まっった夜中に梱包するハードな毎日でした。だんだんと出荷数が増えていき限界に近づいていきます。
これ以上は妻と2人できないと思い、パートさんを雇用することにしました。事務所が決まる前で公園で面接した事を覚えています。
この流れで書くとどうしても「順調に売上が伸ばせてすごいな」とか思われがちですが、たくさんの失敗をしています。それでも止まらずに続けて来れたのは、退路がなかった、むしろ背水の陣と言ってもいいくらいに家族の生活のために覚悟を決めたからだと思います。
点と点はつながる
高校中退、社会経験、起業、失敗、挫折、再挑戦、僕の過去全ての点は現在につながっています。迷いはあったとしても決断して行動すればそれが点となって将来につながります。
新しい決断よりも、現状の維持の方が何も考えなくてとても楽です。迷いがあっても決断すれそれが点となって大きな形となります。
僕はこれからもたくさんの点をつける人でありたいと思っています。もし失敗して小さな点や歪な点になったとしても、その点はきっと将来につながるはずです。
こんな失敗だらけの過去の話が、新しい決断の勇気を少しでも多くの人に持ってもらえるきっかけになれれば嬉しいです。
モトキ